Tinys Yokohama Hinodecho

Culture

全てはアーティストのために。軸をぶらさず活動を継続したい。

2018年4月28日にオープンする「Tinys Yokohama Hinodecho(タイニーズヨコハマヒノデチョウ)」。タイニーハウスを使った場のプロデュースを手がけるYADOKARIが新たにオープンするタイニーハウスホステル+カフェラウンジ+水上アクティビティーの複合施設だ。展開する場所は横浜の桜木町・みなとみらいから徒歩15分ほどの場所に位置する、日ノ出町・黄金町エリア。実はこのエリアは元は違法風俗店が密集するピンク街。現在は、アーティストが集うヒップな街に変貌を遂げつつある。そんなユニークな歴史を持つこのエリアの魅力を探るべく、まちづくりのキープレイヤーである3つの団体にインタビューした。

NPO法人黄金町エリアマネジメントセンターのみなさん(左から7人目事務局長の山野真悟さん、9人目木村勇樹さん)。建築・コミュニティデザイン・アートなど幅広い分野を志す若者が集まる。今や志願者が殺到している注目の団体だ。「Tinys Yokohama Hinodecho」が位置する日ノ出町にあわせ、隣接する初音町、黄金町の3つの地域(以下、初黄・日ノ出町地区)を活動範囲としている。


事務局長の山野さんは、2005年の横浜トリエンナーレのキュレーターを務めたのが縁で、黄金町エリアマネジメントセンターのディレクターに。実は当初は1年の約束でディレクションを引き受けたのだそう。それが結果的に11年ものあいだ、地域との関係性の構築とアートマネジメントを平行で行う困難な事業を支えてきた。木村さんは勤続6年目。仕事のモチベーションは純粋な“楽しさ”だという。「関係各所を調整するのは大変な仕事ですが、多様な意見を受け、編集し、何かを作り出すというプロセスが好きですし、それが人に喜ばれるときにやりがいを感じます」とのこと。

「Tinys Yokohama Hinodecho」が展開する日ノ出町駅から黄金町駅を結ぶエリアは、かつて違法風俗店が建ち並ぶピンク街だった。それが現在は、アートのまちに変貌を遂げつつある。黄金町エリアマネジメントセンター(以下、黄金町エリアマネジメントセンター)は、変化の中心でアートによるまちづくりを手がけてきた団体だ。

アートでのまちおこしを目指す自治体は多いが、実際は多くの困難があり、活動が持続しないケースもある。しかし黄金町エリアマネジメントセンターは、毎年開催のアートイベント「黄金町バザール」の運営も今年で11年目。また団体として国際交流基金の地球市民賞という大きな賞も得るなど、アートでのまちづくりを成功させている。

黄金町エリアマネジメントセンターのこれまでの歩みはどのようなものだったのだろうか? また日ノ出町に新しく「Tinys Yokohama Hinodecho」がジョインすることで、今後どんな変化が考えられるのだろうか? 事務局長の山野真悟さんとスタッフの木村勇樹さんに話をきいた。


ゴーストタウン化した街の、ささくれた関係を癒したアートのちから

事務局長の山野真悟さん

―黄金町エリアマネジメントセンター は、日ノ出町・黄金町エリアのアートマネジメントを行なっています。その具体的な内容を教えてください。

「このエリアにあった違法風俗店を横浜市が借り上げているのですが、その管理運営が活動の基本です。具体的には過去に神奈川県警による一斉摘発『バイバイ作戦』で退去した個人店や、京急電鉄の高架下のスペースなどです」(黄金町エリアマネジメントセンター 以下同じ)

―高架下というと「Tinys Yokohama Hinodecho」の隣にもギャラリーやショップなどを運営されていますね。

「そうですね。横浜市のクリエイティブシティの施策に合致するフレームのなかで、私たちの解釈で運用しています。たとえばアーティストに仕事場や生活の場を提供したり、毎年の『黄金町バザール』というイベントでは国内外のアーティストに発表の機会を提供したりしています。もうひとつがアートを介した国際交流。なかでも東南アジア・東アジアの人々が初黄・日ノ出町地区に多く住まわれているという背景から、アジア諸国との国際交流を推進しています」

黄金町バザール風景 ©黄金町エリアマネジメントセンター

―このまちは、違法風俗街から再生した経緯があるのですが、そういったことはまちづくりにどのように作用しましたか

「違法風俗店がなくなって、ゴーストタウンのようになっていたまちに、横浜市の方針でアートという要素が持ち込まれたわけです。実は最初まちの人は、全く賛成していませんでした。『役所から言われたから、仕方がない』という気持ちだったのでしょう。しかし当時はまだ風俗街のイメージが抜けず、他にどうしようもなかった。不可能な選択肢を引き算して、残ったのがアートだったのです」

―今は日ノ出町・黄金町エリアといえばアートの街というイメージが定着しつつありますが、当初は消極的選択だったのですね。ではどんなふうに住人の皆さんを巻き込んでいったのでしょうか。

「そこにはいくつかの手法があります。実例でいうと、若いアーティストがこの地域の人たちのポートレートを100人分ぐらい書くというプロジェクトをやりました。山野が福岡在住のアーティストを説得し、数カ月間初黄・日ノ出町地区に滞在して作品を制作してもらったのです。アートというコンセプトには馴染みがない人も、アーティストと実際に触れ合ってその作品に参加すると、肌で感じるものがあります。ポートレートは一例ですが、住んでいる人を巻き込むような活動を続けて、粘り強く理解を得ていきました」

―なるほど、ポートレートを描いてもらうのは自分がアートの一部になるような体験かもしれません。そういった経験があると「役所から言われた」という受け身から、アートを楽しむ当事者へと変化していきそうです。

「それにも増して意義深いのは、アーティストは中立な存在だということです。住人と仲良くする一方で、元違法風俗店で働いていた人に話を訊きに行ったりもする。もちろん私たちの運営するスペースで展示をすることもあります。アーティストって割と誰とでも付き合ってしまうというか、いわば対等の関係を作ってしまう能力があるのです。それがNPOである私たちにはできないことだと思います。NPOとしては、まちづくりをやる側の人とセットで動く役割がありますから。ところがアーティストには、そういう事情は関係がない。中立的な立場の若いアーティストがいろいろな人のあいだを行き来することは、まちの雰囲気を和らげていると思いますよ」

―アーティストが、まちの潤滑油になってきたのですね。


違法風俗店は肯定されるべきものではないが、そこがなくなることによって、その店で生活の糧を得ていた人や客として訪れていた人が、行き場を失ったことも事実。まちの転換を望んだ住民にしても、その後閑散としてしまった同エリアの現状に焦りを感じていた人もいるだろう。『バイバイ作戦』は英断であることは間違いないけれど、まちの対立を明らかにした出来事でもあった。

そのなかでアーティストたちが、対立に入り込んで亀裂を埋めていき、新しい日ノ出町を彩る作品をうみだしていった。”アートのちから”にもいろいろなベクトルがあるけれど、日ノ出町界隈のように人々の思いが交差し、大きな転換を測ったまちには、”アートの中立性”がひとつの癒しになったのではないだろうか。


「Tinys Yokohama Hinodecho」とともに日ノ出町のネクストステージをつくる

木村勇樹さん

―『バイバイ作戦』によってゴーストタウン化したまちは、今やかなり様変わりしています。

「いろいろな人が入ってきて、住人が多様化していますね。長くこのまちに住まい、風俗街からの脱却のために奮闘した方々も住んでいますし、最近は利便性の高さに惹かれて新しい住人も増えています。実際このエリアは横浜の中心のひとつでもある関内から徒歩圏内で、羽田まで京浜急行線で20分と、立地は抜群です。新しいマンションも増えていますね。一方で周辺の風俗的な要素の残るエリアに勤めている人が住んでいる土地でもあります」

―その多様性はアーティストにも影響を与えるのでしょうか。

「我々がそのようにディレクションするわけではないのですが、アーティストはこのまちについてわりと強く意識しますね。場所の歴史的な背景とか、現在どういう力関係があって、どういう状況にあるのかということが、作品をつくる手がかりになる。『その中で自分はどういう部分に触発されて、何を伝えるのか』ということを、アーティストは考えますから。この場所と全く無関係な作品を作る人はあまりいないのではないでしょうか」

―アーティストを招致し、日ノ出町固有のアートが生み出されていくというサイクルのなかで「Tinys Yokohama Hinodecho」ができるということは、何でしょうか。

「黄金町エリアマネジメントセンターとして期待しているのは、地域との連携です。たとえば施設や場所だけ借りて『自分たちの力だけでやっていくんだ』といった意識が強い人は、今までの経験上、定着が難しいのです。どちらかというと人間関係が閉じていて、私たちのまちづくりの方向性と、どんどんズレていってしまう。いちばん怖いのは、アーティストがそっぽを向いてしまうことです。私たちとしては、お店の側にもアーティストを取り込むような試みをしていただきたいという本音があります。 YADOKARIは地域と一体の活動を多く行われている点で、とても期待しています」

―YADOKARIとしても、ぜひ黄金町エリアマネジメントセンターとのコラボレーションを実現したいと、今から企画を立てています。

「『Tinys Yokohama Hinodecho』と隣り合わせで黄金町エリアマネジメントセンターの施設があり、間も無く稼働します。ぜひ、ひとつながりのスペースとして高架下を盛り上げていきたいですね。足並みをそろえながら、『次どうしましょうかね』という話し合いができる事業者を、待ってたんですよ(笑)今まで私たちがエリアの内側からまちづくりをしてきて、活動が認知されたり、まちを安心して歩けるような環境が整ったりと、一定の成果があげられたと感じています。今回 YADOKARIという外からの事業者が入り、『Tinys Yokohama Hinodecho』が展開することで、次のステージが始まるのではないでしょうか」


YADOKARIの提案するタイニーハウスは、閉じこもるためのシェルターではなく、外部に開かれた拠点だ。だから、『Tinys Yokohama Hinodecho』はまちの空気をダイレクトに感じられる場所にしたい。

このまちの多様性にアクセスするために、日ノ出町を彩ってきたアーティストの力を借りることができれば、これほど心強いことはない。


アートが生まれるまちから、それが売れるまちへ。横浜アートのブランドを強化する

©黄金町エリアマネジメントセンター

―アートのまちとして認知された次のステージとして、日ノ出町・黄金町エリアをどのようにしていこうと構想されていますか

「私たちとしては、アーティストに愛されるまちをつくることを一番のミッションにしたいです。まちの土台を作る時期には、いろいろな立場の人々の意見を汲みとって調整することも私たちにとって大切な役割でした。しかしある程度合意がとれて、まちにアートが定着した今後は、さらにしっかりとアーティストと向き合っていきたいのです。アーティストが『またここに来たい』と思えるようなまちを、作っていきたい。それがまわりまわって地域の魅力に繋がっていくのではないかと思います。もちろん、まちの多様性のなかで、私たちには私たちのミッションがあるように、たとえば YADOKARIにはまた独自のミッションがあるでしょう。それらが反目せずにつながれるような関係性も、きっとつくれるはずです」

―多様性を残したまま、お互いを尊重するということですね。具体的にどのような変化が起これば、アーティストに愛されるまちになるのでしょうか。

「今のところ初黄・日ノ出町地区にいるアーティストで、フルタイムの人はごく少ない。つまりアート1本で生活していない人が多いのですね。その背景には、横浜では作品が売れないという現実がある。今のところ日本のアート業界では東京のギャラリーでないとなかなか作品が売買されないのです。ですからこのエリアの若いアーティストで、売れてきた人は結局東京で展覧会をやったり、作品を売ったりしています。私たちも売る努力をしていますが、ある程度高額な作品になると難しい。美術業界ではギャラリーのブランド力がアートの信頼度に直結しますから、まだまだ横浜ブランドを構築できていないということです」

―横浜がアートを見るためのところだけではなく、マーケットにもなれば、アーティストもギャラリーも潤いますね。

「ひとつのギャラリーでイキのいい展示をしていても、そのためだけに遠方から人を集めるのは難しい。ギャラリーがいくつかあって、同じ日にみんなオープニングをやっていて、それをはしごできるような状況が東京にはあります。同じようなことが横浜でもできるといいと思うのです」


黄金町エリアマネジメントセンターをはじめまちの皆さんの努力によって、日ノ出町・黄金町エリアはピンク街のイメージを脱し、近年は不動産マーケットでの魅力も増してきた。喜ばしい反面海外の例を見ると、クリエイティブなまちづくりの結果、そのエリアの価値が上がると、同時に地価も上がり、アーティストたちにとって住みづらいまちになってしまうことがある。

おそらく黄金町エリアマネジメントセンターの皆さんは、その危険性を察知しているのだろう。だから次のフェーズとしてアーティストにとっての住みやすさをあげているのではないだろうか。将来的にこのエリアでアートが売買されるようになれば、アーティストも長く留まるようになり、アートのまちとしての強度や持続性も増す。

『Tinys Yokohama Hinodecho』はホステルとして、またイベントスペースとして、その構想を全力でバックアップしていく。そんなやりがいのある新たな課題をもらったインタビューとなった。


大岡川の桜並木道